VFA-115
Wings

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太平洋戦争の激戦地ガダルカナルの勝敗が決したのは1942年暮れ、日本は多大の犠牲を払いながらも撤退作戦を完了させた。この後、この島の攻防の主戦場であったヘンダーソン飛行場に移動した来たのが、この飛行隊の前身である雷撃飛行中隊のVT-11であった。アベンジャー雷撃機をもって、その後のレイテ海戦にも参加している兵どもである。
 1975年、厚木で彼らはA-6Aイントルーダーを使っていた。どちらも攻撃機でグラマン製である。当時はアラビア海での参戦時に士気を鼓舞するためにつけた「アラブス」という飛行隊名であったが、アラブ諸国との戦争が多くなるにつれて”イーグルス”に名前を変えている。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など主たる戦場には殆ど参戦しており、中東からアジア太平洋地域で常に前面に出て戦った飛行隊であることは、彼ら自身の誇りでもある。
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↑ 2023年の岩国基地航空祭から約1年が経過した2024年3月25日、再び岩国を訪れCVW-5の面々の活動を追ってみた。上2枚は、3月26日に飛行訓練したVFA-115のFA-18E。以下 次ページも時系列に並べて行きたいと思う。
↑ 2023年4月15日 岩国基地航空祭にて。
(2023)
↑ 2017年4月厚木基地にて。
尾翼の”76”は空母ロナルド・レーガンCVN-76から来ているはずだが、322とBはレーガン大統領がアメリカ陸軍の予備役兵として所属していた部隊番号を表すそうだ。この空母レーガン・・・ニミッツ級原子力空母の9番艦として就役、2015年10月1日から横須賀を母港としている。Modex300の下の書かれている「2001/9/11同時多発テロメモリー」の数名の名前は、当時犠牲になった当艦乗員の名前だそうである。

(2017)

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